| ジョン・レノン:エピフォンE230T(通称カジノ:セミアコースティックギター) 当時のジョンはこのカジノがお気に入りで、ステージだけでなく録音にもよく使われている。ギブソンの名器ES330の廉価版といった風情でシェイプはよく似ているが、ボディ内部が若干異なり、生音もかなり大きな音が出るようになっていて、ギブソンとはまた違った独特の音色を持っている。ジャズやブルースのミュージシャンにもよく使われている。来日公演にはサンバーストの方が使われている。ジョンはビートルズ末期のいわゆるアップル屋上ライブ」でこのカジノ(ナチュラルフィニッシュ)で『ゲットバック』などを演奏。ソロになってからも愛用しているので本当にお気に入りの楽器のようだ。 |
↑これは右利き用。 | ポール・マッカートニー:カールヘフナー500/1(いわゆるバイオリン・ベース。もちろんレフティ仕様) ポールのトレードマークともいえるベースで、ハンブルグ時代に手に入れて以来、ステージ、レコーディング共によく使われた。カールヘフナーはドイツの楽器メーカーでバイオリンやチェロを専門とした。ポールの使用したバイオリンベースで飛躍的に知名度があがり、売上げも倍増している。僕は中学時代このベースをコピーしたグレコのベースを弾いたことがあるのだが、ボディが小さい上に空洞で軽いため、肩に下げて手を離すと重いネックがグイグイと下がってしまい、いつも左手でネックを支えていなければならなかった。ポールがステージ上でいつもネックを持っているのはそのためだと分かった。音は非常に独特でかなり固い音が出た記憶がある。 |
| ジョージ・ハリスン:エピフォンE230T(ジョンと同じタイプ)、リッケンバッカー360-12(12弦のアコースティック) そもそもエピフォンをジョンやポールに勧めたのはジョージらしく、彼もかなりの頻度でエピフォンを使用している。360-12は上記『恋をするなら』で全面的に使用され、「12弦エレキ」の音を広く知らしめた名器といえる。バーズのロジャー・マッギンの名曲『ターン・ターン・ターン』などに大きな影響を与えている。ギブソンやフェンダーにも12弦ギターはあるが、リッケンバッカーのはヘッドのノブ(糸巻き)が縦横に並べられた特殊な構造で、正面から見ると6弦ギターと一見変わらない革新的な作りになっている。 |
↑ファン垂涎の名器AC30。ブライアン・メイ博士も愛用。 | アンプはVOXスーパー・ビートル AC-100(ビートルズのために開発されたスタックアンプ) ビートルズといえばVOX AC30というこれまたアンプの名器中の名器を連想させるが、メンバーはAC30をデビュー時からずっと愛用していた。武道館のような大会場では全く出力が足りないので、新たに開発されたものを使用している。VOXの音は典型的な真空管アンプの音で太く温かみがあるが、マーシャルやフェンダーとはまた違った味があり、クイーンのブライアン・メイ、ジミー・ペイジ、ロリー・ギャラガーなどの使用でも知られる。 |
↑これはミニチュア!欲しいぞ。 | リンゴ・スター:ラディック981-1P(シンバルはパイステかジルジャンらしいが不明) 983-1Pは通称「ブルーノート」と呼ばれた。創設者のドイツ系アメリカ人の名前をとった「ラディック」は英語読み。ドイツ語では「ルードウイッヒ」。つまりベートーベンと同じ名前だ。もとはティンパニーの専門メーカーとして知られていたが、ジャズ用ドラムセットを開発、大御所バディー・リッチに愛用され、以来ドラムといえば「ラディック」というほどのブランドになった。ジンジャー・ベイカー、ジョン・ボーナム、カーマイン・アピスら大物ロックドラマーのほとんどが使用。現在は日本のドラムメーカーのようにドラムヘッドに合成樹脂(皮革)を使ったものが主流だが、ラディックは昔からの天然皮革にこだわっている。それも今なお多くのドラマーたちに愛される理由のようだ。 |
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| このほかリッケンバッカーベースやギブソンSGなども持参したがステージでは使用されなかった。バイオリンベースもボディは空洞のセミアコースティック構造なので、結局3人ともソリッドボディの楽器は使用せず、セミアコで演奏していたことになる。ステージでは「軽い楽器」を好んでいたのだろう。 また上記『アイム・ダウン』用に電子オルガンとしてVOX社コンチネンタル・デュアル・マニュアル・オルガンも持ち込まれたが使用されなかった。ギター、ベースは半音下げでチューニングされているので、当時キーボードのチューニング変更は不可能だったため、半音下げを指使いで変更して演奏するのがジョンにとって難しかったのではなかろうか? また、日本のスタッフの証言では、当時最高のPA機材がイギリスから持ち込まれていたのだが、アンプの一部が故障していて使えなかった。ところが次の日にはもうイギリスから代わりの機材が空輸されて来て仰天したそうだ。今では普通のことだろうが、当時の日本と海外との行き来の状況から想像すると(何しろ外貨のやりとりすら規制されていた時代)やはり凄いことだろう。 |